大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和35年(ワ)7612号 判決 1964年6月13日

原告 浅沼雄之助

被告 三宅村 外一名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一双方の申立

一  原告の申立

「被告らは、各自金一、二三三、六八〇円及びこれに対する昭和三二年三月六日から支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求める。

二  被告らの申立

主文同旨の判決を求める。

第二双方の主張

一  原告の請求原因

1  被告佐久間利定は、昭和三二年当時被告三宅村の開設した三宅村国民健康保険伊ケ谷診療所に勤務する医師であつた。

2  被告佐久間に診察を依頼するに至つた経緯

原告は、昭和三一年九月頃から高血圧気味で被告佐久間の診察治療を受けていたものであるが、昭和三二年一月一二日夜半突然発熱し、頭痛と右眼球に疼痛を覚え、視力の減退を自覚したので、翌一三日被告佐久間の往診を求めた。

3  診察の結果と手当の状況

右診察により、同被告は、右眼はインフルエンザ菌の作用によるものと認め、原告に対し「心配はない。眼は硼酸水で冷せばよろしい。」と述べ、オーレオ・マイシン軟膏を眼に塗る等の処置をした。

4  その後の病状と治療状況

その後、原告は、同被告のもとにおいて高血圧の治療を続けると共に、毎日眼の治療を受けていたが、その都度被告は、原告に対し硼酸水による冷湿布とオーレオ・マイシン軟膏の継続使用を指示し続けて来た。その間同年一月二八日原告は右眼視力の減退が著しいので、被告に症状を強く訴えてその治療方を要望したところ、被告は、「伊豆部落にも貴方と同じような眼の悪い患者が二人いるが、二人とも快方に向つているから貴方も大丈夫でしよう。」と述べ従前同様の治療をほどこし、同年二月四日及び同月二〇日にも前同様の問答が繰り返されていた。ところが、同年三月六日頃になると原告は、すでに瞳孔は散大し、右眼視力がなくなるに至つたので、被告に対し、「このようになつても大丈夫ですか。」と視力の著しい減退を訴えたところ「十中八、九大丈夫でしよう。伊豆の患者の方も癒つたから時が来たら癒るでしよう。」と述べたので、原告はやむなく被告の言を信頼して時の経過を待つことにしたのであるが、その頃訴外高松清が日赤巡回医療班の診察を受け、眼底出血として血圧の方の治療を受けたところ、治癒した旨聞いていたので、原告も、もしや自分も眼底出血かも知れないと考えて、被告に対し、「眼底出血ではないでしようか。」と問うたところ、同人は、「そうかも知れない」と述べたのである。

5  訴外田中医師の診察

原告は、ここに至つて被告の医師としてあまりにも不確実にして信用できぬ態度に満足せず、ついに、同年三月七日三宅島の坪田診療所に田中達男医師を訪れ同人の診察を求めたところ、同人は、「早く東京へ行つて専門医に診てもらつた方がよい。」旨勧告したのである。

6  上京後の経過と右眼の失明、左眼の視力減退

原告は、早速同月一四日上京し、翌一五日慶応義塾大学病院及び中央区京橋の宮下眼科医院の医師宮下俊男の診察を受けたところ、両眼とも緑内障であるとのことであつた。ことの重大性に驚いた原告は、翌一六日東京慈恵会医科大学付属東京病院へ赳き診察を受けたところ同様の診断を下され、即刻入院手術の必要性を説かれたので、同病院において入院手術することになつた。

原告は、同月一八日右病院に入院、手術を受けたが、病状が悪化して既に手遅れとなつていたため、手術は効果なく右眼は眼球摘出手術のほかなく、ついに失明した。左眼は手術の結果失明を食い止めたが、視力は著しく減退するに至つた。

7  緑内障の一般的症状

(一) 強い頭痛を伴う、頭部中心線より右半分または左半分の痛みを訴える場合が多い。

(二) 眼球の疼痛を伴う、(一)の頭痛と同じ側の眼の痛みを伴うのが通常である。

(三) 視力が著しく減退する。

(四) 眼球が著しく固くなる。指で瞼の上から押えるだけでも硬くなつているのを容易に感じ得る。

(五) 瞳孔が散大する。健康体であれば瞳の直径は通常二ミリから最大四ミリまでであるが、緑内障特に絶対緑内障では六ミリから八ミリに達する。

(六) 瞳が呼気状に混濁し、緑色を呈する。

(七) 眼圧(眼球の圧力)が増大する。健康体では通常一二ミリグラムから二五ミリグラムまでであるが、緑内障では遙かに高くなる。

右の緑内障の各症状のうち、(七)の眼圧の検査は専門医による診察が必要であろうが、その他の(一)乃至(六)の症状は患者の自覚症状の訴えとこれに基ずく簡単な診察で容易に確認し得るものであつて眼科専門医でなくとも法定の資格を有する医師であれば、当然知悉し、また診断し得る緑内障の一般的症状である。

8  緑内障の治療方法

内科的療法としては、ピロカルピン、エゼリン等を点眼して瞳孔を小さくすることにつとめるとともに、ダイヤモツクス等の利尿剤を施用し、体内の水分を排出することによつて眼球内にたまつた水を減らすか、もしくは綱葉体の切除、開離手術を行い眼球内の水分を減らし眼圧を低下させることが必要である。

結局緑内障の根本的治療のためには手術によるほかないのであり、この手術は専門医でなければ困難であるから、被告佐久間の如き眼科専門でない医師が緑内障と診断し、または緑内障の疑いを抱いた場合には、内科的療法を施すとともに速やかに専門医の診察を受けるべく勧告すべきである。

9  被告佐久間の注意義務違反

原告は、昭和三二年一月一三日被告佐久間に前記7(一)乃至(三)の症状を訴えていたのであるから、同被告としては当然緑内障の疑いを抱き即座に前記7(四)乃至(六)の点についても診察をするべき注意義務を負つていたのである。しかも、原告はその後も引続き同被告の診察を受けるたびに、特に同月二八日、同年二月四日、同月二〇日、同年三月六日には次第に悪化する前記4の自覚症状を訴え、特に三月六日には視力が全く失われた旨訴えていたのである。

さらに、原告が同月一五日自発的に上京して慶応病院及び宮下眼科医院で診察を受け、翌一六日に慈恵医大病院の診察を受けた際には、症状は極めて悪化し、瞳孔は散大し右眼は眼圧六五ミリに達し、既に失明していたのである。してみると、原告が三宅島で被告佐久間に自覚症状を訴えていた際に既に顕著な緑内障の症状を呈していたことは明らかである。

したがつて、被告佐久間は、昭和三二年一月一三日から三月上旬までの間にわたり原告に対し緑内障と診断してこれに対し前記8記載の処置をとるべき注意義務を負つていたのであり、かりに同被告が直ちに緑内障と断定し得なかつたとしても病状が前記のように悪化の一路を辿つた以上緑内障の強い疑いは当然抱き得たはずであり、その確認及び治療のために眼科専門医の診察を受けるよう勧告すべき注意義務を負つていたものである。

それにもかかわらず、同被告は、一月一三日の原告の主訴に対しインフルエンザ菌による急性出血性炎症と誤診した結果、その後も緑内障の疑すら抱かず、そのため緑内障に対する治療は全く行わず、また眼科専門医の診察を受けるよう勧告もせず、緑内障の治療とは無関係なオーレオ・マイシン軟膏の点眼、硼酸水による洗眼を指示し、その後も同様の誤診を繰り返し、漫然同様処置を続け、その結果遂に緑内障に対する早期治療の機会を失し、原告をして右眼失明、右眼球摘出の状態に至らしめたものである。

したがつて、被告佐久間は、原告に対し右眼失明によつて原告の蒙つた損害を賠償する義務があるものというべきである。

10  原告の損害

(一) 得べかりし利益の喪失

原告は、三宅島三宅村大字伊ケ谷に宅地九三坪、居宅二五坪、畑一町二反五畝歩を所有し、昭和二八年頃には右畑の耕作による農業収入と乳牛数頭の飼育により年額約四〇万円の収益を得ていたが、昭和二九年頃家内労働力の不足のため耕作を中止し、飼育していた乳牛四頭を売却し、以後その乳牛売却代金と従来からの蓄えにより妻と死別した原告一人の生活を維持して来た。しかし、右生活費も到底原告が死亡するまでの余生を賄うには足らず、全く無収入のままでは早晩枯渇することは明らかであつたため、本件緑内障罹病当時はその畑の一部を耕作して自家用の作物を生産すると共に飼料を自給して乳牛二頭程度を飼育し牛乳の売上金を生活費にあてる計画であつたところ、本件緑内障による失明及び左眼の視力減退のため右の計画は放棄せざるを得なくなり、慈恵医大病院から退院後は専ら生活保護による扶助料と独立別居している実子からの僅かな送金によつて生活を維持している状態である。

そして、原告一人の労働による乳牛飼育(飼料自給)及び自家用農作物の生産による純収入は現在において推定年額約一二万円程度であるところ、原告は両眼を完全に失明したのではなく左眼は微弱ながら視力を有し農業労働が全く不可能ではないので、その純喪失労働量を五〇パーセントと推定すると、本件不法行為による得べかりし利益の喪失は年間六万円である。

そして、原告は、明治三三年七月三日の出生であるから厚生省発表の第一〇回生命表によると昭和三八年における原告の余命は一三年である。したがつて、不法行為終了の時である昭和三二年三月六日以降の余命は一九年であり、その余命年間の予想収入額合計は金一一四万円である。この収入額はホフマン式計算法によつて民法所定の年五分の中間利息を控除して一時金に換算するときは金五八万三、六八〇円となる。

(二) その他の財産的損害

原告は、被告佐久間の不法行為に基く緑内障の悪化により専門医の診断を受けるべく上京し、入院、手術を受けその間の上京及び診察を受けるための旅費、その他入院中の雑費(その入院費、手術料等は国民健康保健による保険料で賄われた。)として計五万円を支出した。

したがつて、原告が本件不法行為によつて蒙つた財産上の損害は右(一)及び(二)を合わせて計金六三万三、六八〇円である。

(三) 精神的損害

原告は、大正二年三宅島伊ケ谷尋常小学校を、同五年同校補習科を卒業し、同校代用教員を勤めた後、大正八年伊ケ谷村書記に採用され、昭和三年まで勤務していたが、その間大正一五年に伊ケ谷村長代理、同村収入役を兼務したのを始め、伊ケ谷村産業組合理事、同監事、同組合長、三宅島教育評議員等の公務を勤め、昭和二一年三宅村合併後も同村議会議員に毎期当選し、同村議会副議長に就任したほか、伊ケ谷農業協同組合理事、同監事、伊ケ谷漁業協同組合監事等の公職を歴任して現在に至つた。

原告は、従来は生活を維持するに足る資産を有し、何不自由ない生活を営むとともに、経済的に疲弊した三宅村の村政、村財政にも多大の関心を有し村会議員を始めとする公職に就き村政のため奔走して来た。

しかし、本件不法行為に基因する右眼失明によつて肉体的に日常の起居行動に多大の支障を蒙るとともに特に視力の減退による読書、筆記の障害は原告が従来多大の関心をもつて従事して来た公的活動に非常な支障を来したのである。

右のように日常生活及び社会的活動に支障を来したため、特に前記のような経歴を有する原告が深刻な精神的打撃を受けたことは明らかであつて、この精神的損害は、金六〇万円をもつて慰藉されるのが相当である。

11  被告三宅村の責任

(一) 使用者責任

被告佐久間の勤務していた三宅村伊ケ谷診療所は、昭和二三年一二月国民健康保険法に基く療養取扱機関として被告三宅村により開設されたもので、被告佐久間は昭和三〇年一一月以降、右診療所の医師として勤務していたものである。

したがつて、被告三宅村は使用者として被告佐久間の前記過失により原告が蒙つた損害を賠償する義務がある。

(二) 国家賠償法第二条の責任

被告佐久間は被告三宅村の開設した同村伊ケ谷診療所に勤務していた医師であるが、村民の健康管理や診察、治療は、全く右診療所に依存せざるを得ない状況にあつたのであるから、その開設者である被告村は右診察、治療をなし得る医師を配置するとともに十分な設備を設けるべき義務があつたものである。

しかるに、被告三宅村は右診療所に原告が診察を求めた緑内障について正確な診断と治療をなし得る医師を配置しなかつたのみならず、その診断、治療に必要な設備を全く設けていなかつたのであつて、その結果原告に右眼失明に因る前記損害を与えたものである。

右は地方公共団体たる被告三宅村の公の営造物の設置管理の瑕疵に基き蒙つた損害であるから国家賠償法第二条に基き被告三宅村は原告に対し本件損害を賠償する義務を負うものである。

12  よつて、原告は、被告らに対し前記損害金合計一二三万三、六八〇円及びこれに対する本件不法行為終了のときである昭和三二年三月六日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払を求める。

二  被告らの答弁

請求原因1の事実は認める。

同2のうち一月一二日の病状は否認する、被告佐久間が診察したのは一月一四日である、その余の事実は認める。

同3の診断結果は否認する、診断は炎症性、血性、血管硬化に原因する網膜出血(眼底出血)の疑いであり、オーレオ・マイシン眼軟膏を点眼したのは炎症性疾患に対する第二次感染予防のために使用したものである。

同4の高血圧の治療と眼の治療を三月六日頃まで続けて来たことは認めるが、その余の事実は否認する。被告佐久間は眼底出血の疑があるとみて原因療法として高血圧の治療をなし(ルチン・サーピナの投与、ハイポジン等の注射)、局所療法として冷湿布をなし、二次感染の予防及び炎症性血性の治療のためオーレオ・マイシン軟膏の継続使用をなし、心身の安静を保つよう指示していたものである。

同5、6の事実は不知

同7の各症状が緑内障の一般的症状であることは認めるが、(一)乃至(六)の症状があつても一般医師として緑内障の診断が可能であるとはいい得ない。原告が(一)乃至(三)の症状を訴えていたことは否認するが、たとえこの症状があつても直ちに当然緑内障の疑を抱き、(四)乃至(六)の点についても診断すべき注意義務があつたとはいえない。

同8の緑内障の治療方法が原告主張のとおりであることは認めるが、ピロカルピン、エゼリン、ダイヤモツクスは眼科医のみが使用するのであり、この治療方法は一般医には不可能である。

同9の自覚症状の主張事実は否認する、三月六日頃も原告は付添なしで被告佐久間方へ来ているし、また田中医師の所へも一人で診察を受けに行つているからその頃視力が全く失われていたはずはない。原告は、昭和三二年三月一六日の慈恵医大病院の診断を根拠にして被告佐久間が診察していた時顕著な緑内障の症状を呈していたと主張するが、被告佐久間が最後に診察した日と三月一六日との間には一〇日間あるからこの間に急激に病状が変化することもあり、特に原告は、老人であり、高血圧の患者であり、島から東京という都会へ出て来たという生活環境の変化があり、一四時間の船旅による著しい体の疲労があつたのであるから、その変化も十分考えられる。

原告は、眼科専門医の診察を受けるよう勧告すべき注意義務を負つていたと主張するが、緑内障と判断してこれに対し何らかの手段をとるべき注意義務それ自体が存在しないのであるから勧告の義務もない。被告佐久間としては高血圧の治療に全力を注ぎ、一一月末から再三、再四上京をすすめて来たもので、また田中医師にも上京をすすめて貰うよう電話もしているから、被告佐久間のとつた措置に注意義務違反はない。

同10のうち(一)の主張は争う、年間約六万円の生活費を控除すべきである。(二)の主張事実は不知、(三)の主張は争う。

同11のうち(一)の被告佐久間が三宅村伊ケ谷診療所に勤務する医師であることは認めるが、被告三宅村に責任があるとの主張は争う。(二)の主張事実は否認する、被告三宅村は伊ケ谷診療所のほか、阿古診療所(医師岩田)、坪田診療所(医師田中)、神着診療所(医師荏原)を設置していたから無医村の多い日本においては、十分な設備をしていたといつてよい。緑内障は稀有の奇病であり、緑内障の診断は相当困難なもので、この診断をなしうる眼科専門医、または優秀なる一般医師を置くことは離島である三宅村にとつて到底困難な問題で、これを治療する設備を置くことは不可能である。

かかる患者は上京して診察治療を受けるべきであり、重病その他専門医にかからなければならない病気については東京の医師に依存していたものである。

しかも、国家賠償法第二条は物的設備についての規定であつて、人的設備を含むものではないから、この点でも原告の主張は理由がない。

第三証拠関係<省略>

理由

一  請求原因1の事実、同2のうち原告が昭和三一年九月頃から高血圧症のため被告佐久間の診察、治療を受けて来たこと、原告が昭和三二年一月中旬頃同被告に眼の診察を依頼したこと、同3、4のうち同被告が原告の眼に対する治療としてオーレオマイシン軟膏の点眼をし、冷湿布をするよう指示し、この治療方法を三月六日頃まで継続したことは、当事者間に争いがない。

二  そこで、被告佐久間が原告から眼の診察を依頼された当時の原告の眼の症状、同被告の診断、その後の病状についてみるに、右当事者間に争のない事実に成立に争いのない乙第一号証、証人大橋孝平の証言及びこれにより真正に成立したものと認める甲第三号証、証人宮下俊男、同田中達男の各証言並びに原告本人及び被告佐久間本人の尋問の結果を合せ考えるとつぎの各事実が認められ、この認定に反する原告本人及び被告佐久間本人の各供述部分は、この認定に用いた各証拠と比較して信用することができず、他にこの認定を覆えすに足りる証拠はない。

1  原告の自覚症状

原告は、昭和三二年一月一二日風邪をひいたような感じで発熱し、眼頭が多少充血し、夜半頃から頭痛と眼に圧迫痛を覚え、右後頭部、右眼にそれを強く感じ、嘔気、嘔吐を催し、水枕をして就寝した。

2  被告佐久間の診察と治療状況

被告佐久間は、同月一三日午前九時頃原告の依頼により原告方へ往診して診察し、検温したところ三八度の体温があつたので、原告の前記1についての主訴症状と合わせて、右はインフルエンザによる発熱ではないかと考え、硼酸水による冷湿布を指示し、オーレオ、マイシン軟膏の点眼をし、原告に対しては、インフルエンザ菌によるものであるから心配することはない旨説明した。

翌一四日被告佐久間は、再び右眼を診察したうえ、これを急性の出血性炎症性の眼病と考えたが、これよりさき前年九月末同被告は原告の高血圧症の治療にあたつていたのであるが、その症状が一進一退で、あつたことと現に、原告が霧視の訴えをしていることとを斟酌して、眼底出血を惹起しているのではないかとも判断した。

しかし、同被告は、同診療所には眼科的設備もないため、右の程度以上の突き進んだ原因究明のための診察方法もとらず、右眼底出血についての疑のことは原告に知らせず、たとえ眼底出血としても根本的治療は高血圧症に対する治療が適切な措置であるとし、血圧降下に対する処置とともに眼部に対しては混合感染、第二次感染予防のために前同様の治療方法を講じ、後記認定の如く原告に上京を勧告していた事情もあつて、眼疾患については右の程度以上の治療方法は採らなかつた。

3  その後の症状及び治療方法等について

その後も被告佐久間は、原告の診療を継続しその間原告から時折りひどくなる眼痛および視力減退についての主訴をしていたが、依然治療の主眼を高血圧症におき、高血圧の治療にのみ意を用いていた。ところが、高血圧の治療には精神的な安静が極めて重要であるのに、同被告がみたところ、原告は、性格的に物事にこだわり、人と争いを起す傾向があつて、そのためその息子等と衝突して老令にもかかわらず一人ずまいを続けているようにみえ、他人との会話中にも一寸興奮すると急に血圧が上昇するという心身の安静を欠く言動があつたので、被告佐久間は、血圧降下剤の投与、注射を続け、心身の安静を命ずるほか、早く上京して治療を受けるよう勧告していた。

一方、眼の治療に関しては、同被告は原告から視力減退によつて霧視があり、電燈の周囲に紅輪の見えることがあるという自覚症状を時折り訴えられていたが、依然眼底出血の疑いの域を越えないものと判断し、この治療のためには血圧を低下させることが先決かつ根本的療法であると考え、原告に対しては上京して血圧の治療が功を奏すれば、眼の疾患も治癒する旨説明し、ともかく上京することを再三、再四勧告していた。

4  訴外田中医師が診察するに至つた経緯とその診断

原告は、同年三月上旬に至つても被告佐久間が眼の疾患について、病名をはつきりと示さず、その症状も恢方に向つている様子がないのに同じ治療方法に終始していることに不安を感じていた折柄、たまたま訴外高松清から眼底出血ではないかと云われたことが気がかりとなり、同年三月六日被告佐久間に対し他の医者に相談してみたい旨許しを求めた。被告佐久間は快くこれに応じ眼科専門医ではないが、四〇年に亘る臨床経験のある被告三宅村の坪田診療所の田中達男医師が適当であると指示し、自ら同医師に電話をかけ、同被告は、原告の高血圧の治療に当つて来たが、三宅島に居たのでは十分治療できないから上京するようあなたからもすゝめて欲しいと伝言した。

原告は、被告佐久間の右連絡に基いて翌七日坪田診療所において田中医師の診察を受けたところ、田中医師はは、視力障害を訴える原告の眼瞼を手であけて診たところ、瞳孔が幾分混濁しているのを認めたので、あるいはソコヒ(外眼に変化がなくて視力の減退する疾患の総称で、これには白内障、緑内障も含まれる。)ではないかとの懸念を抱き、もしソコヒであれば放置すれば失明の恐れもあるものと考えたが、同医師は眼科専門医ではなく、また手許に眼疾患診察の器具等もないので、それ以上の診断をすることもできず、結局眼科専門医による診断、治療の必要を感じ、あわせて被告佐久間からの前記伝言もあつたので原告に対し上京して眼科専門医の診療を受けるように勧告した。

三  つぎに、原告が上京して眼科専門医の診察、治療を受けた状況についてみるに、その記載内容、形式から真正に成立したものと認める甲第二号証、前掲甲第三号証、証人宮下俊男、同大橋孝平の各証言及び原告本人尋問の結果を合わせ考えるとつぎの事実が認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

1  原告は、前記田中医師の勧告によつて同月一四日上京し、翌一五日慶応義塾大学病院で診断を受けたところ、同病院では慢性炎症性緑内障の疑いで両眼とも矯正不能と診断され、その治療のため希望すれば手術を施行するが、視力回復の望みはない旨の説明をうけたので、原告はことの意外に重大なのに、驚愕し、これが誤診であることに一累の望みをかけて即日眼科専門の開業医である宮下俊男医師の診察を受けたところ指圧検査と暗室内での眼球観察の上両眼とも緑内障と診断され、早期手術が不可欠である旨の説明だつたので、同医師からその手術のため慈恵会医科大学付属病院に連絡をとつて貰つた。

2  原告は、右連絡に基いて同月一六日慈恵会医科大学付属病院大橋眼科において、大橋孝平医師の診察を受けたた。当日の同医師の診察結果は右眼の視力は零で光覚なく完全失明という状態で、左眼の裸視力は〇・八で眼鏡使用によつて一・五の視力が得られたこと、眼圧は右眼65mmHg左眼16.5mmHgと測定され、右眼の瞳孔散大が認められ、左眼の瞳孔は散大していないが若干の混濁が認められ右眼は急性炎性緑内障によつて失明した絶対緑内障、左眼は誘発試験を施行の結果眼圧調整機能に異常の認められる単性緑内障で慢性のそれであるというのであつた。

そして、右大橋医師は、右緑内障の発病時期を一月一二日頃と推定した。その根拠は、緑内障には急性、慢性とあつて右三月一六日の診断時の症状自体によつて発病時期を推定することは、不可能であるが、前記認定の一月一二日における原告の自覚症状を原告から説明され、その症状は緑内障の初発症状に相当することから、右の推定に至つたものであつた。

また、同医師は原告の両眼とも眼底出血に誘発された緑内障ではないと推測した。その根拠は、右眼については瞳孔がすでに散大し混濁しているので眼底を観察することができなかつたが、左眼の眼底には出血した模様がなく、通常高血圧症に由来する眼底出血は両眼に起るものとの経験則から、右眼にも眼底出血はないものと推測したのである。

以上の診断に基き、大橋医師は、右緑内障の治療方法として同月一六日から〇・五パーセントのピロカルピンを点眼して瞳孔の縮小をはかつたが効果なく、三月二〇日に右眼の水晶体摘出手術を施した。しかし、その効果乏しく、特に原告は高血圧症のため、これが緑内障の治癒をさまたげる状況にあり、五月一三日には左眼に紅彩切除手術を施し、五月二八日にはダイアモツクスの投与をなしたが、右眼のみは、依然病状おとろえず、止むなく六月二六日右眼の眼球摘出手術をすることによつて、ようやく治癒させることができた。

四  そこで、すすんで緑内障の原因、一般的症状と眼科専門医以外の医師がその診断、治療をなし得るか否かについてみるに、証人宮下俊男、同大橋孝平の各証言を合わせ考えるとつぎの事実が認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

1  緑内障とは、眼球内の液体の循環(その液体の分泌と排出)に障害が起り、このために眼球の内圧すなわち眼圧が亢進している状態をいうものであつて、現在の医学では原因不明の原発緑内障と、他の眼疾患、例えば葡萄膜炎、眼炎、眼内の異常な出血、腫瘍に続発して眼圧の亢進として現われる続発性緑内障に大別され、血管に硬化現象のある高令者は最も高い比率において緑内障患者数を占め、したがつて、緑内障の診断の際には必ず血圧との関係を調査する取扱いとなつている。

そして、緑内障にはその病状進行の態様から、最初は徐々に進行し、頭重、霧視等の自覚症状が一ケ月に一回、一週間に一回という割合で起る前駆期を過ぎ、これが次第に頻発する傾向をもつ単性緑内障と心身の過労、飲酒等に誘発されて視力が急激に減退し、眼の圧迫感、片頭痛を自覚し、瞳孔の散大、眼圧の亢進が急激に起る炎症緑内障とがあり、単性緑内障から炎性緑内障に移行する場合もあり、時には一晩で急激に右炎性緑内障の症状を呈して失明する電撃性緑内障もある。

炎性緑内障は比較的高令者に起り易く、その治癒状況については、電撃性緑内障においては、いかなる方法をもつてもその失明して視力を回復し得ないが、右以外の緑内障で、進行途上のものは、現在の医学上完治とはいえないまでもある程度治癒するのが大多数であること。

2  緑内障の診察は、眼球の観察による前記症状の現認、眼圧測定のための指圧検査、眼圧測定器の使用等によつて行われるが、その正確な判定は、病状の重い場合を除き、必ずしも容易でないこと。右指圧検査は眼科専門医として二、三年以上の臨床経験のある医師がこれを行えば、眼圧の異常を判定することができる方法であり、比較的簡易な方法ではあるが正確な眼圧は眼圧測定器によらなければ判定因難な場合もあること。

3  医師としての資格を有するものは、眼科専門医以外の医師でも学生時代緑内障について講義を受けているものであり、また、国家試験でも緑内障の問題が出題範囲中に含まれているから、その症状等も知り得るはずであるが、頻発する眼病ではないため、非常に優秀な医師であれば格別、眼科専門医以外の医師にとつては緑内障の診断は容易でなく、したがつて、その診断ができなかつたとしても医学常識上では、そのことだけでは医師として不適格であるとは考えられていないこと。特に、その初期においては眼科専門医においても誤診が少くはないこと。

4  緑内障の治療方法には、内科的療法と、外科的療法があるが、内科的療法としての薬品ダイアモツクス、ピロカルピンは、いずれも眼科専門医以外の一般医は、余り使用しない薬であり、外科的療法は、一般医はみだりにこれを施行すべきでなく、結局、眼科専門医以外の一般医に緑内障を治療することは期待し得ないこと。

五  つぎに、被告佐久間の医師としての経歴、診療所の設備、前記診断に至つた理由等について考えてみるに、証人田中達男の証言及び被告佐久間本人尋問の結果によれば、

1  被告佐久間は岩手医専を卒業し、昭和二〇年一〇月五日付で医師免許を受け、昭和二三年四月まで秋田女子医専に勤務し、昭和二四年から昭和二九年二月まで岡山県阿哲郡新見市において内科、産婦人科医を開業し、昭和二九年三月からは東京都中野区氷川町において内科、産婦人科医を開業していたが、学位論文の作成中に三宅島の井戸水の水質調査のため三宅島に渡り、昭和三〇年一一月から被告三宅村の伊ケ谷診療所及び伊豆診療所に勤務し、全科の診療をしていたが、その専門は産婦人科医であつて、その間その医学的知識、診断治療の技倆につき特に欠缺ありとはみられていなかつたこと。

2  被告佐久間が三宅島に定着するに至つたのは、昭和三一年に三宅村の国民健康保険組合がほとんど破産状態になり、前記田中達男医師を除く全医師が三宅島を引上げる事態となつた際、被告佐久間が三宅島の出身者であつたことと村民達に極力とどまつて診療して欲しいと依頼されたためであつて、結局東京に帰る予定もつかないまま前記診療所に勤務していたものであること

3  昭和三二年初め頃被告三宅村には医師が五人おり、被告佐久間の外は東京都中央保健所三宅島出張所、三宅村国民健康保険坪田診療所、同神着診療所、同阿古診療所に各一人ずつの医師が勤務していたが、三宅島内では制限診療であり、その医療施設は充分ではなく少し困難な病気の患者は島外の医療機関にかかるし、また医師達もそれぞれ該当患者にはそのように勧めていたこともあつて、被告三宅村の健康保険組合は患者が少いため破産状態にあり、同年四月その直営診療所制度が廃止され、各診療所に勤務する医師がすべて開業医となつたのも、右の事態にもとづく経済的理由によること。

4  被告佐久間も症状の重い、または専門外の患者には島外診療機関にかかることをしばしばすすめていたが、その当時三宅島には眼科の専門医がなく、したがつて眼に異常が認められたときは、上京して専門医の診断を受けるようすすめるのが三宅島の医師の常識であつたこと。

5  被告佐久間は、昭和三一年一一月頃から原告に対し前記認定の原告の性格が高血圧治療の障害となつていることと、血圧が危険状態に至るおそれもあることから、東京でこの点についての治療を受けるよう再三、再四勧告していたこと、原告の眼についての前記認定の診断は、原告のように血圧の亢進がある場合には眼底出血による視力障害である可能性が強いことを根拠にしたものでこれによりさきに認定した治療を継続したにとどまつていたこと。

という事実が認められ、原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は、被告佐久間本人尋問の結果と比較して信用することができず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

六  被告佐久間の責任について

前記一ないし四の認定事実によれば、原告の右眼は、昭和三二年一月一二日頃から緑内障の前駆期症状を呈していたものと推認されるから、被告佐久間の急性出血性炎性症で眼底出血の疑いがあるとの診断は、適切な診断ではなかつたものということができる。

しかし、前記四において認定した事実によれば、眼科専門医であつても眼圧測定器等の診察器具がない場合には一月一二日当時の症状を認めたのみで、これを緑内障の前駆期症状あるいはその疑いがあるものと診断することは容易でないものと考えられるのみならず、まして、被告佐久間の如く前記五の1において認定した経歴を有する産婦人科を専門とする医師が右の診断をすることは一層困難であつたことが予想され、短日時の間における診察のみによつてかかる高度の診断義務を被告佐久間に負わせることはできないものというべきであるから、結局一月一四日当時における診断について同被告に過失ありとすることはできない。

しかしながら、本件においては、被告佐久間はその後引き続き原告に対し三月六日まで診断と治療をしていたのであるから、その間において、さきになした自己の診断についてその過誤に気ずき、これを是正すべきでなかつたかどうかについても考慮しなければならない。

そこで、まず三月六日頃までの原告の症状についてみると、前記一の1および2さらには四の1において認定した事実からすると、その眼症状は緑内障の前駆期症状を呈し、格別急進の模様もなく一進一退であつたものと推認するのが相当であり、これと、その当時の高血圧症状も一進一退であつたこととを合せ考えると、眼科専門医でない被告佐久間が前記認定の諸状況のもとにおいて、原告の眼が緑内障あるいはその疑いあるものと診断し得なかつたことについて、同被告に過失があつたものということは相当でない。

もつとも、その間被告佐久間は、自己が産婦人科を専門とする医師であり、眼疾患は勿論、高血圧症についてもそれらの専門医ほどの知識経験を有しないのが通常であることから、病状に応じ適宜専門医の診療を受けるべく患者に勧告する義務があつたものといわなければならないし、一方患者である原告としてもその勧告のあつたときはこれに従い、場合によつては自らすすんで他の専門医の診断を受けるべく心掛けるのが患者として当然なすべきところであつたことも疑いを容れないところである。

そこで右の点について考えてみるのに、被告佐久間は、すでに昭和三一年一一月以来高血圧症の治療のため原告に対し再三、再四上京をすすめていたのであり、原告がその勧告を受けながら直ちに上京しなかつたのは、前記二の3において認定した原告の性向あるいはその家庭事情によつたものであることが窺われるのである。

ところで、被告佐久間の右上京勧告は、眼疾患の治療を目的として専門医の診療を受けるよう勧告したものではなく、高血圧症の治療のためであつたが、被告佐久間の診断した眼底出血の疑いというのも高血圧症の一症状なのであるから、結局その治療も高血圧症の治療が抜本的方法であることを考慮すれば、一月一四日以降の右上京勧告は、一面で眼疾患についての上京勧告であつたものとも解しうるから、かかる見地からすれば、眼科専門医でない被告佐久間としては、原告に対し医師としてなすべき措置を講じたものということができる。

もつとも、原告本人尋問の結果によれば、被告佐久間が原告に対し眼疾患が緑内障か少くともその疑いがあるものだと説明して上京を勧告すれば、驚愕して直ちに上京したであろうことが推認されるが、前記判断のとおり、右の診断自体被告佐久間に期待することができないし、かかる立場にある医師としてなすべき注意義務を欠いたものとはいえないのであるから、被告佐久間が原告に対してなした措置に過失はなかつたものということができる。

したがつて、被告佐久間の原告に対する診療及びこれに伴う措置につき過失が認められないから、被告佐久間は原告の右眼失明に起因する損害を賠償する義務があるものとはいえない。

七  被告三宅村の責任について

1  原告は、まず三宅村が被告佐久間の使用者であることを理由に損害の賠償を求めるが、特段の事情の主張、立証のない以上、被告佐久間に注意義務違反があつて、その結果原告に損害が生じた場合において被告三宅村も責任を負うものであるところ、すでに判断したとおり、被告佐久間の注意義務違反が認められないのであるから、被告三宅村は、その使用者として責任を負うことはないものというべく、原告のこの点の主張は理由がない。

2  つぎに、原告は、被告三宅村に国家賠償法第二条の責任がある旨主張するが、同条は、営造物が通常備えるべき安全性を欠き、そのため営造物自体が損害を惹起した場合に適用されるものであつて、本件の如く営造物それ自体の瑕疵から損害を惹起したのでない場合に適用されるものではないから、原告のこの点の主張も理由がない。

八  以上の判断によれば、原告の本訴請求は、すべて理由がないので、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 安藤覚 高瀬秀雄 小倉顕)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例